「大丈夫かい?」
「うん、大丈夫大丈夫」

立ち止まったり歩き出したりするたびに、手首に付いた鈴が 鳴る。呼応するように、マツバが持っている鈴も鳴った。 家を出て、あまり慣れていない道をしばらく歩くと、どこかの建物内に辿り着く。おそらく、スズネの小道の手前にある 関所だろう。彼に「少しだけ待っていて」と告げられ、壁伝いに四つ角の隅へと身を置いた。見知らぬ男性の声がざわざ わと耳朶を撫でる。

――外は怖いから。

幼い頃、そう駄々をこねては、外で遊びたいと言うマツバを半ば無理やり室内遊びにつきあわせたことがあった。知らない音。知らない色。知らない感触。何が危険で何が安全なの か、全くわからない。だから外の世界全てが恐怖の対象であった。 切り取られた小さな空間でしか、安心して呼吸ができない。 今もそうだ。ここは知らない。少なくとも、安心はできない。しかしいつまでも家の中で飯事が許されるわけではない。無理やりにでも外に出なければならない。 しっかりしろ、と言い聞かせる。同時に、不意に鈴の音が鼓 膜を突く。私のものではない。マツバの鈴の音だ。それに手首に触れれば鈴が鳴った。

『ほら、聴こえるってことは、近くにいるってことになるでしょ』

近く。 無意識に綻びそうになる表情を隠すように俯いた。

それから手続きか何か終わったのか、再び場所を移動する。それにしても、行くまでにこんな手間がかかるとは思わなかった。
彼の手を煩わせるくらいなら、おとなしく家でやれば良かっ た。 マツバから卒業します、なんて言っておきながら、ずいぶんと面倒をかけてしまった。

「そこ、段差あるから気をつけてね」
「うん。……私もポケモン持とうかなあ。でも全然見えないわけじゃないし、杖が良いかな」
「あはは、君に杖は似合わない気がするよ。ああ、もう段差 とかないから大丈夫。着いたよ」
「!」

その言葉に顔を上げる。視界は一変して赤い色に染まる。それとなく首を回してみるが、そこには赤と草木を思わせる色しかない。
マツバから手を離し、数歩足を進める。

「よし、今日をもって私はマツバから卒業します」

卒業式といったら、まずは開会の言葉だ。校長先生とか、来賓の挨拶もある。でも大事なのは卒業生答辞。あれ、答辞いいんだっけ。歌は、わからないから省略。卒業証書授与も、 まあ省略。そうなると、もしかしたらもう終わり? あとは退場だけか。赤い色を眺めながら、彼に背中を向けた。たぶん一番ここが大切。

「name?」
「一人で帰る」
「!」

とにかく一人で初めてやるべきことは、家に帰ることだ。マ ツバが「無理はだめだ」と腕を掴むが、それに簡単に甘えたりしない。これは私の挑戦だ。

「段差とか分からないだろ」
「人生は挑戦なんだよ、マツバ」
「いいから落ち着いて」
「落ち着いてる」

マツバの手を何とか振りほどこうと身をよじるが、男女の差をありありと見せ付けられ、断念
した。私は彼から卒業するために来たのだ。親離れというか幼なじみ離れというか。少なくとも、私はこれ以上彼の荷物になってはいけない。

「なんで突然そんな」
「マツバがちゃんと結婚できるように」
「だから僕はお見合いで結婚するつもりはないって」
「知ってるんだから。私が目がよく見えないから、私に気を使ってて、それでお見合い断ってるくらい」
「僕は」
「私のせいになるのが嫌なの」

マツバのお見合いが上手くいかない話は聞いてる。彼の母や私の母が、それが私がいるからだと、話しているのも知ってる。もう、子供じゃないんだから。 甘えていてばかりではだめだ。一人で何でもできるようにならなければ。

「考えていたんだよ」
「……」
「ずっと、考えていたんだ」

何が、と首を傾げると、鈴が鳴った。彼は今、一体どんな顔をしているのだろう。

「確かに、nameのことを思うと、結婚だとか、そんなこと、知らない人とできないと思う」
「ほら、やっぱり!」
「だから違うんだってば」
「……」
「考えたんだよ。例えば、僕は君の目の代わりになれるのかとか、でも僕は、見えるけど、見えないものまで見えるから、たぶん違う。ありきたりな言葉も、やっぱり違う」
「?」
「覚えているかい? この鈴を、あげたときのこと」
「!」

「怖くなったらっ鳴らすんだよ」
「鳴らすの?」
「うん。そしたら僕も、鳴らすから」
「鳴らすの」
「ほら、聴こえるってことは、近くにいるってことになるで しょ」
「見えなくてもわかる!」
「うん」


鈴の音が鳴る。彼の気配が動いた。

「怖くならないよう一緒にいるよ=v
「あ……」
「だから、知らない人とは一緒にならない。君のそばにずっと一緒にいることにした。怖くならないよう鈴を鳴らして、寂しい思いをさせない」
「マツバ、私」
「嫌なら、ちゃんと断って」
「……」
「……僕と」
「私、マツバのお嫁さんになりたい」
「!」
「嫌なら、ちゃんと断ってね」
「……絶対わざとだろ」

コツンと額に小さな衝撃が走る。すぐそばに彼の体があるのがわかり、手を伸ばした。柔らかい体温が服越しに触れる。
彼の匂いがした。 同時にどうしようもなく泣きたくなってしまう。今まで怖かったり寂しかったり痛かったりしてはさんざん泣いたが、 嬉しくて泣くのは初めてだ。背中に回された腕にぎゅっと力が入る。負けじとしがみつくように腕に力を入れた。

「嫌じゃないよ」
「それはこっちの台詞」

なんだか可笑しくなって顔を見合わせては笑った。 私と彼が「お母さん」「お父さん」と呼ばれる、そう遠くない過去の話だ。

/了


20110218


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